2018-07-20(Fri)
【訃報】プロレスラー・マサ斎藤氏が永眠…アントニオ猪木氏と巌流島で血闘を繰り広げた“武骨漢”
日本プロレスでデビューし、海外の団体や新日本プロレスでも活躍したプロレスラーのマサさんことマサ斎藤氏(本名・斎藤昌典)が7月14日に逝去されましたが…(享年75歳)
その風貌から武骨なアウトローという印象を与えるものの(1964年の)東京オリンピック出場経験もあるアマレス出身の実力者であり、プロレスのリングでもその堅実なレスリングスタイルで猛威を振るい、義が厚く面倒見の良い性格だったため多くのレスラー仲間から慕われていました。
以前ケーブル番組(『ワールドプロレスリングクラシックス』)で過去の試合を観た時、見た目通りやたら防御力の高そうなwごつい体つきをしていて、何度相手の攻撃を喰らっても鬼気のこもった表情で立ち上がるまさに昭和のレスラーという感じでしたね。
(フリーザ) そのため人気プロレスゲーム『ファイヤープロレスリング』シリーズでも“不死身の怪物”ことゾンビ・マサという名前で登場しましたしw1984年に海外で事件に巻き込まれて服役し、出所した後は“獄門鬼”という異名が付いたらしいですね(本人は嫌がっていたそうですけれどもw)。
また現役引退後は新日本プロレスの試合解説者として、当時のテレビ朝日アナウンサーだった辻よしなり氏とのやり取りで
辻 「このホーク(・ウォリアー)と(スコット・)ノートンはプライベートでは非常に仲が良いと聞いておりますが」
マサ 「そうですねぇ、スコットはオクラホマに家を買ったんですよ」
辻 「このバックドロップは受身が取れない!!」
マサ 「取ってます取ってます」
辻 「スーパーJの素顔はなかなかのナイスガイだそうですね」
マサ 「そうなんですよ、グヘヘヘヘヘ」
…といった芸人顔負けの意味不明なw天然トーク(?)を繰り広げ、現役時代とは別の意味でw強烈なインパクトを与えていましたね(笑) ( ̄∀ ̄;;;;
その上、(解説中に)正体不明とされている覆面レスラーを実名で言ったりw1987年にアントニオ猪木氏と死闘を演じた巌流島での伝説の時間無制限ノーレフェリー・ノールール・無観客マッチ(通称『巌流島の戦い』)についても「アレはやらせですけどね」とかw(後輩レスラーの武藤敬司氏から「巌流島の戦いは大変だったんでしょ?」 と訊かれて)「大変じゃないよ! お前もプロレスラーならわかるだろ?」などと他人事の様にwサラッと爆弾発言をかましてましたし(笑)

(ベジータ) って、そういう発言したら
プロレスがガチで八百長だと思われるからやめれ!!!! (゜Д゜;;;;
…と、解説を聞いていた当時のプロレスファンの方々からは心の中で思いっきりツッコまれてただろうな(笑)
それでもプロレスに対しては独自の美学を強く持っており、深い付き合いだった後輩レスラーの1人である西村修氏によるとプロレスラーというのは友が無く一匹狼的な存在であるというのがマサさんの信条だったようで、それを知った時はその無頼漢的な生き様が何ともカッコ良いなと思いましたね。
2000年にパーキンソン病を患ってからはリハビリに専念しつつも(アドバイザーとして所属していた当時の健介オフィスにて)後進を指導するなどプロレス関係の仕事に携わっており、2015年の東スポでのインタビューでは「技の応酬ばかりで、アントニオ猪木がやっていたようなドラマティックなプロレスがない。燃えるものがないんだよ」と現在のプロレスに警鐘を鳴らしていましたね。
私が注目しているプロレスラーの一人である北宮光洋氏(プロレスリング・ノア所属)もそのマサさんから指導を受けており、本人から了承を得てリングネームをマサ北宮に変えて頑張っているので、これからもマサさんの意志を継ぐレスラーとして応援していきたいですね。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
マサ斎藤さん死去、猪木と「巌流島決戦」75歳 #マサ斎藤 #巌流島決戦 #おくやみ #プロレスhttps://t.co/swtsw64wYW
— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2018年7月16日
その風貌から武骨なアウトローという印象を与えるものの(1964年の)東京オリンピック出場経験もあるアマレス出身の実力者であり、プロレスのリングでもその堅実なレスリングスタイルで猛威を振るい、義が厚く面倒見の良い性格だったため多くのレスラー仲間から慕われていました。
以前ケーブル番組(『ワールドプロレスリングクラシックス』)で過去の試合を観た時、見た目通りやたら防御力の高そうなwごつい体つきをしていて、何度相手の攻撃を喰らっても鬼気のこもった表情で立ち上がるまさに昭和のレスラーという感じでしたね。
(フリーザ) そのため人気プロレスゲーム『ファイヤープロレスリング』シリーズでも“不死身の怪物”ことゾンビ・マサという名前で登場しましたしw1984年に海外で事件に巻き込まれて服役し、出所した後は“獄門鬼”という異名が付いたらしいですね(本人は嫌がっていたそうですけれどもw)。
また現役引退後は新日本プロレスの試合解説者として、当時のテレビ朝日アナウンサーだった辻よしなり氏とのやり取りで
辻 「このホーク(・ウォリアー)と(スコット・)ノートンはプライベートでは非常に仲が良いと聞いておりますが」
マサ 「そうですねぇ、スコットはオクラホマに家を買ったんですよ」
辻 「このバックドロップは受身が取れない!!」
マサ 「取ってます取ってます」
辻 「スーパーJの素顔はなかなかのナイスガイだそうですね」
マサ 「そうなんですよ、グヘヘヘヘヘ」
…といった芸人顔負けの
その上、(解説中に)正体不明とされている覆面レスラーを実名で言ったりw1987年にアントニオ猪木氏と死闘を演じた巌流島での伝説の時間無制限ノーレフェリー・ノールール・無観客マッチ(通称『巌流島の戦い』)についても「アレはやらせですけどね」とかw(後輩レスラーの武藤敬司氏から「巌流島の戦いは大変だったんでしょ?」 と訊かれて)「大変じゃないよ! お前もプロレスラーならわかるだろ?」などと他人事の様にwサラッと爆弾発言をかましてましたし(笑)

(ベジータ) って、そういう発言したら
プロレスがガチで八百長だと思われるからやめれ!!!! (゜Д゜;;;;
…と、解説を聞いていた当時のプロレスファンの方々からは心の中で思いっきりツッコまれてただろうな(笑)
それでもプロレスに対しては独自の美学を強く持っており、深い付き合いだった後輩レスラーの1人である西村修氏によるとプロレスラーというのは友が無く一匹狼的な存在であるというのがマサさんの信条だったようで、それを知った時はその無頼漢的な生き様が何ともカッコ良いなと思いましたね。
2000年にパーキンソン病を患ってからはリハビリに専念しつつも(アドバイザーとして所属していた当時の健介オフィスにて)後進を指導するなどプロレス関係の仕事に携わっており、2015年の東スポでのインタビューでは「技の応酬ばかりで、アントニオ猪木がやっていたようなドラマティックなプロレスがない。燃えるものがないんだよ」と現在のプロレスに警鐘を鳴らしていましたね。
私が注目しているプロレスラーの一人である北宮光洋氏(プロレスリング・ノア所属)もそのマサさんから指導を受けており、本人から了承を得てリングネームをマサ北宮に変えて頑張っているので、これからもマサさんの意志を継ぐレスラーとして応援していきたいですね。
心からご冥福をお祈り申し上げます。




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